心臓から墓場へ

人間を好きになって混乱している人のブログ

推しに仕事がない

推しに仕事がない。来年まで待たないと何も見られない可能性が濃厚の模様。

推しの芝居が見たい。板の上で推しが表現する感情を浴びたい。感じたい。見たい。けれどそれは、じゃあ、いつまで待てば良いのか。待った先がクソ舞台だったらどう生きればよいのか。


世の中では徐々に舞台が上演されている日々が戻りつつある。朗読劇だったり音楽劇だったり形式はいろいろあるけれど。配信だってもちろんある。けれど、推しはその中のどこにもいない。


待っているよの気持ちを手紙にしたためて、けれど本人だって仕事をしたい気持ちはあるだろう。あまり待っているばかりではだめだなと思って、プレゼントも送って。これ着て過ごしてね、着て自撮りしてファンサしてくれたらうれしいからねって。


でも、舞台がなければ自撮りもしないしプレ着る機会もないんだなあ。

着てくれるだけで上がるんだけどなあ。まあ、ファンの気分とかどうでもいいか。いいだろう。わかってる。全部こちらのエゴだ。かわりにファンはいつだって俳優を見限ってファンをやめてもいい。全部こちらの自由だ。ファンにばかりワガママの権利がある厄介な関係だよね、と思っていたけど、でも万が一俳優引退されたらファンは置き去りだな。


やっぱ渡したいプレはすぐ渡そう。そして俳優でいるうちに使ってくれないか。と、そう思うのだ。


私はこれから推しのどんな姿が見たいだろう。

一番は板の上で芝居をする姿だった。けど今はそれがあまり現実的ではなくって、かわりに、プレ着用のファンサが欲しいとか、レスが欲しいとか、ちょっとはSNSの更新頻度上げて欲しいとか、そんな欲望ばっかりで、これはもう、ファンというより、害悪だよなあ。


好きそうだと思って贈った半袖のTシャツ、着る前に夏が終わってしまって残念です。